エスペラントの現在(いま)
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国際青年大会へ −
木村 護郎
Japana
Esperanto-Instituto/Ponto-libroj 4
前書き
毎年異なった国で開催される国際青年大会。1996年夏にドイツで開かれた国際青年大会の紹介とともに、学習初期に生じるエスペラントについての様々な疑問に答える。
著者は1974年生まれ。東京外国語大学ドイツ現代史を専攻、その後一橋大学大学院言語社会研究科に進み、「ヨーロッパの地域言語の動向」を研究中。日本青年エスペラント連絡会前代表。
(初出 「煌」(東京外国語大学)第20号、1996年)
●「案」から「実際」の言語へ
700以上もあるといわれる計画言語の中で、1887年に提案されたエスペラントは、「案」の段階を越えて、実際に使われる「言語」となるまでに至った珍しい例だといえよう。この夏(1996年)、7月29日から8月5日にかけてドイツ中部はザクセン・アンハルト州の山村ギュンタ−スベルゲの青年休暇センタ−で行われた「エスペラント国際青年大会」に参加して、この言語が実際に国際的なコミュニケ−ションに使われる様子をじくり体験することができた。以下は、その報告、というか雑感である。
●若者版「世界大会」・・・・「国際青年大会」
エスペラントということばは、何らかの民族などの言語ではなく、エスペラントを自主的に学んだ世界の様々な地域の人々によって国際交流などに使われるのであるから、文通・読書・ラジオ受信・無線・パソコン通信などの使い道の他、実際に会話に使うのは個人旅行か、エスペラントを使って行われるさまざまなイベント、ということになる。アジアでは残念ながらそこまではいかないが、ヨーロッパであれば、年中さまざまな行事が行われているため、財布と時間が許す人は、一年中、エスペラント関係の催しをはしごすることも可能だ。(しかも、多くの行事は国際交流行事として国や欧州評議会などから援助がでているので、費用が安い。)そして、この各種行事の中で最大のものが、毎年異なった国で開催されるいわゆる「世界大会」(今年はプラハ)と、その若者版「国際青年大会」である。
●唯一の共通項はエスペラント語
さて、この「青年大会」だが、一週間、何百人(今年は約400人)も世界中から集まって、一体何をやるのだろうか。プログラムを見ると、今年の大会のテーマである「共生の諸形態」にそった講演・ゼミナ−ルや今年の開催国ドイツの政治・文化事情についての講演や発表などの硬めのプログラムから、リトニア語講座・漫画講座など位置づけ不明のもの、さらには
"Distra programo"
(レクレーションとでも訳そうか)まで、うまく配分されている。近くの、ユネスコ世界文化遺産に指定され、中世風の町並みを残すQuedlinburg市への一日がかりでの遠足もある。要するに何でもありなのだが、大会全体にわたって共通しているのは、使用言語が全てエスペラント語であるということだ。(初心者にはエスペラントの講習会も用意されているが、いろいろな国の人が参加するため、これもエスペラントによる直説法で行われれる。)ことばの異なる人々が、中立で簡単に覚えられる言語(エスペラントが果たしてこの宣伝文句に適っているかということは後で少しふれたい。)によって自由にコミュニケ−ションがとれることをめざす、というエスペラントの原点がこの大会によって立つ理念であり、エスペラントを話すということが、中学生から社会人まで、実に雑多な参加者の唯一の共通項である。
●プログラムのいくつか
大会の初日には、州の労働・社会・健康大臣も参加してのシンポジウムがあったそうだが(こればかりはさすがに通訳付き)、私は遅れて着いたため、これには出席してない。ここでは、私が直接見聞したものを中心に、幾つか紹介してみたい。まず、見た感じ、一番真面目に大会テーマに取り組んでいたのは、ドイツの民俗学者が主催した「異文化間関係」と題するセミナ−で、ここに参加した人たちは、ほとんど大会の期間中ずっと、「部屋にこもってシュミレーション・ゲームをしたり、討論したりしていたようだ。他にも幾つかの講演やゼミが平行し、討論や講演などは御免だというむきには、手工芸やダンスの講座なども用意されていた。しかし、そもそも何かに参加しなければいけないということはないのであって、会場の野外カフェでくつろぐのもよし、自転車を借りてのサイクリングもよし、実に自由な雰囲気がよかった。私も、せがまれて、いきなり日本語講座をやったくらいだから、きっと予定にはないプログラムも色々と自然発生したことだろう。
●俗語・卑語をテーマに討論
私が参加した分科会の中で特にインパクトがあったのは、エスペラントの辞書編纂に関する集まりでだった。現在、エスペラントは1987年に出たエスエス辞典(エスペラントの「国語辞典」みたいなもの)が一つの規範になっているが、今度、その改訂版ができるということで、一般の話し手の意見を聞くための、いわば公聴会である。私が参加した日は、「俗語・卑語」がテーマになっていた。エスペラントにそんなものがあるのか、と驚くかも知れないが、百年以上も使われてきたことばであり、ないほうがおかしいだろう。実際、『エスペラント・タブー語辞典』なる本もある。その分科会では、実に「卑猥」なことばの一つ一つについて、まじめに議論しているのが結構笑えた。私は、あまりエスペラントの文章を読み込んでいるわけでもないので積極的に発言できなかったが、議題になったことの中には、何を基準にして新造語を辞書に載せるのか、例えば、一人のエスペラント語作家がある語を何度も使っていればそれでいいのか、といったこともあった。エスペラントは、確かに出発点においては計画された言語であるが、一旦世に出た後は、通じるための基本としての
”fundamento” (エスペラント語の音韻・文法の基礎が書かれたもの+基本語彙集+用例集から成る、いわばエスペラントの憲法)はあっても、新語や語用は、実際に使われる中で自由に発展しているので、どの単語・用法まで辞書に入れるのか、ということについて、諸民族語と同じような問題を抱えるのだということを実感した。しばしば、安易にエスペラントを「人工語」として「自然語」に対置させる分類が行われるが、これは果たして有効な区分なのか、疑ってみる必要があろう。
●自作のCDを売りつけられた
日中のプログラムが終わると、夕方は毎日、ロックやフォークのコンサートや劇などの大きめの催しが行われた。ある晩、コンサート会場で売られていたCDを眺めていたら、そばにいた三人組が、これは最高だ、とスウェーデンのエスペラント・ロックバンドのCDを熱心に勧めるので買ってしまった。ところが、あとでジャケットの表をみると、写真は、さっきの三人ではないか。半分騙された気分。
●結局エスペラントもヨーロッパの言語?
夕方のプログラムで特筆すべきは、東京外語大エスペラント倶楽部有志が、大胆にも、プロ級のバンドや劇団に混じって、去年の外語祭の演目『星の王子様』を改訂して上演したことだろう。本番前は、演じる側も観客も(!)かなり不安があったようだが、結果は成功であったといえよう。私はビデオ撮影をするため観客席側にいたのだが、さすがにエスペラントの達人の集まり、細かいことばのあやをも理解して、敏感に反応してくれた。ノリのよさは、予想をはるかに上回っていた。昼のプログラムでも夕方の出し物でも気がつくのは、やはりヨーロッパ人の出し物が多いということだ。そもそもエスペラントは「中立」なる枕詞を冠しているものの、ヨーロッパ起源(誕生の地はワルシャワ)である。結局エスペラントもヨーロッパ語なのであろうか。このことをつっこまれると、とりあえずは、そのとおりであるといわざるをえない。だが、類型論的には、語幹に接辞が付加することから、日本語などのように膠着語だという説もあるくらいだし、当初はヨーロッパ諸語をベースに作った語彙も、その後の発展の中で、十分エスペラント独自の意味内容・用法をもって、原語から独立してきている。たとえば、可否を問う疑問の副詞”cxu”がポーランド語の”czy”に類似するといってもポーランド語の用法で使うと間違いになることもある。また”umeo”(日本語の「ウメ」から)のように、非ヨーロッパ語からの語彙も増えている。
大体、全ての民族から平等に距離を置いた計画言語なんてできるわけがないのであるから、エスペラントの出自について、ヨーロッパに偏っていると云々するのはあまり建設的ではないだろう。むしろ、日本語人としては言語運用においては日本語的発想をもって使い、アジア言葉としての内実を持たせていく方が大切だろう。その意味でも、外大のエスペラント倶楽部が自作の劇を上演したことは有意義なことだったのではないだろうか。西洋起源の語用がより「国際的」な表現にかわった端的な例としては「個人名の呼び方が挙げられる。国際青年大会の参加申込書には”persona
nomo”日本(「個人の名前」)を書く欄があったが、かってはエスペラントでも英語の”first
name”あたる”antaux nomo"(「前の名前」)という言い方が使われていた。ところが日本人などの場合、姓(家族名)が個人名の前(上)に置かれている。ここで、”persona
nomo"というより中立的な表現が使われるようになったのである。
●エスペラントは簡単な言葉
エスペラントの中立性の話が出たついでに、エスペラントのもう一つのセールスポイントである学習容易性についても触れておくことにする。エスペラントは、外大生と違って言語学習に多くの時間を割くことができない人々のためにできたのであるから、難しすぎては存在意義がない。しかし実際は、習得には母語による差異がでる。まず、絶対にヨーロッパ人の方が習得しやすい。エスペラントの基本語彙はラテン語からとったものが多いので、特にロマンス語系の言語を話す人は、単語をおぼえるのが得である。私が会ったあるルーマニア人の学生は、学習暦わずか3か月で、間違いだらけだが実にすらすらとしゃべっていた。日本人には、このような技はまず不可能である。
だが、その強力な造語力と、不規則・例外をほとんどなくしたスリムな文法によって、エスペラントは現存する言語で、日本人にとっても最も習得が容易な言語であることには変わりない。エスペラントは、時々宣伝でいわれるのと違って、「カンタン」ではないが、他のどの言語「よりもカンタン」である。これだけでも十分メリットだと思う。
●エスペラントには文化がない?
閑話休題。夕べの催しの後は、ディスコで朝まで踊り狂うか、「フクロウ屋」という飲み屋に集まるのが定番である。後者では文学作品の朗読会も行われた。私は初日、疲れていたので深夜1時過ぎに寝室にいったが、いつまでたっても同室の6人のうち、誰も寝にこないので、少なからず不安になったものだ。最後の晩は”internacia
vespero”(国際的な夕べ)と称して各国の人が出し物をしたが、印象的だったのはハンガリー人の「わが国の少数民族エスペラント人の歌と踊り」と題した出し物だった。これは他のグループの、民族舞踊などの出し物のパロディ−で、「民族衣装をつけたエスペラント人たちの登場です」というと、Tシャツにジーパンの一団が躍り出てくるというたわいもないものだったが、後で思うと、意外に核心をついている面がある気がする。何かというと、「エスペラント文化」ということについてである。よく、「エスペラントは文化がない」ということがいわれるが、このことについて、少し考えてみたい。
まず、「文化」がなければコミュニケーションは挫折するか、ということである。この問いに対して、エスペラントはその百数年の歴史で、一つの答えを出しているのではないだろうか。つまり、話し手に「意志」があれば、言語表現はついてくる(小難しく言えば、ことばの機能上の条件に構造上の性質が適応する)、ということである。(このことはピジンやクレオールについてもいえるだろう。これらの言語で感情の機微は言い表せないと思うのは、根拠の無い思い込み・偏見であり、さらには人間の創造性への信頼の欠如だと言いたい。)エスペラントは諸民族言語のように豊富な慣用句を持たない。そのかわり、合成による造語が他の言語に類をみないほど自由であり、言い回しも、話し手の工夫の余地が大きい。それを組み合わせれば、「意志のあるところに道はひらける」のである。これは私の経験でもある。もちろん、つくろうと思えば、全く「文法的」な、しかしとんでもない無意味文などすぐできてしまう。(英語の有名なナンセンス文"Colorless
green ideas sleep furiously”の比ではない。)ただ、そのような文を作って相手に通じなかった場合、悪いのは言うまでもなくエスペラントではなく、その文を作った本人である。自分で自由に文を作る場合、誤解の心配がないとはいわない。だが、誤解は普通に日本で日本人と日本語で話していてもあることだ。ましてや世界各地から来ているわけであるから・・・。
●「言語・文化共同体」の形成
しかし、「エスペラント文化」というテーマについて、主な問題はもはや、エスペラントに文化がないということではない気がする。エスペラント語をメディアとするさまざまなテーマの国際会議や観光旅行などが毎週のようにおこなわれ、この言語で歌う人、書く人(ちなみにエスペラント語作家協会は1993年に国際ペンクラブに正式に加盟した)、泣く人、笑う人が存在するとなると、エスペラントも一つの「文化語」になっているとみるのが妥当である。主に非母語話者によって、また異なる文化圏の人々によって担われるので他の言語文化との比較は難しいが、超域的なエスペラント文化の存在は、エスペラントという言語の一つの特徴になっているといえるだろう。さらに、ハンガリ−人の出し物にあったような「エスペラント民族」(そんなものができらたこわい)とまではいかないにしても、自分の出身地の文化とは別に、エスペラント語による文化をうみだし、享受する一つの二次的な「言語・文化共同体」ができているといえるのではないだろうか。言語がアイデンティティに係わるものだとするならば、日本語が日本への帰属意識が結びつくように、エスペラントは、自分の母語・文化を大切にしながらも「地球市民」という概念を単に抽象的な空虚な観念に終わらせないアイデンティティを身につけることができる、そんなことばになっている、という気がする。だが、この「エスペラント文化」の問題はそれ自体、また別個の大きなテーマなので、これ以上はここでは触れないことにする。
●エスペラントは機能している
少なくとも確かなのは、よく言語文化論を生半可にかじった人がするように、「エスペラントには文化がないから平板な意思疎通しかできないのではないだろうか」と真剣に悩んでしまっているようでは、現実に笑われるということである。すでに1918年にフランスの言語学者アントワーヌ・メイエが、理論的な議論がどうであろうとエスペラントが機能しているのは事実であるということを述べている。このことを今回、エスペラント語の講演を聞き、劇やコンサートを楽しみ、そして何よりも色々な人とたくさんbabilado(おしゃべり)をしたことによって確認することができた。
国際青年大会
回数 | 開催年 | 開催国 | 開催地 | 参加者 | 備考 | 回数 | 開催年 | 開催国 | 開催地 | 参加者 | 備考 | ||
1 | 1938 | オランダ | 203 | 29 | 1973 | ユーゴスラビア | サラエボ | 282 | ★ | ||||
2 | 1039 | ベルギー | Tervuren | 400 | 30 | 1974 | ドイツ | ミュンスター | 250 | ★ | |||
3 | 1047 | イギリス | イプスイッチ | 200 | 31 | 1975 | デンマーク | フレゼレシャ | 265 | ★ | |||
4 | 1948 | オランダ | 285 | 32 | 1976 | ギリシャ | テサロニキ | 350 | ★ | ||||
5 | 1949 | フランス | ベルサイユ | 200 | 33 | 1977 | フランス | ポアチエ | 325 | ||||
6 | 1950 | ドイツ | コンスタンツ | 420 | 34 | 1978 | ブルガリア | ベリコ・トルノボ | 450 | ★ | |||
7 | 1951 | オランダ | ハールレム | 280 | 35 | 1979 | オランダ | アウステルリッツ | 388 | ||||
8 | 1952 | デンマーク | 108 | 36 | 1980 | フィンランド | ラウマ | 332 | |||||
9 | 1953 | オーストリア | 80 | 37 | 1981 | メキシコ | Oaxtepec | 108 | |||||
10 | 1954 | オランダ | ヒルバーシュム | 90 | ★ | 38 | 1982 | ベルギ− | ルーベン | 315 | ★ | ||
11 | 1955 | イタリア | ラクイラ | 350 | ★ | 39 | 1983 | ハンガリ− | デブレッツェン | 672 | ★ | ||
12 | 1956 | ドイツ | 173 | 40 | 1984 | イギリス | 293 | ||||||
13 | 1957 | フランス | Villeneuve | 30 | ★ | 41 | 1985 | ドイツ | Eringerfeld | 425 | ★ | ||
14 | 1958 | ドイツ | ホンブルグ | 126 | ★ | 42 | 1986 | イスラエル | 106 | ||||
15 | 1959 | ポーランド | グダニスク | 300 | ★ | 43 | 1987 | ポーランド | クラクフ | 1034 | ★ | ||
16 | 1960 | オランダ | ロッテルダム | 105 | 44 | 1988 | ユーゴスラビア | ザグレブ | 769 | ||||
17 | 1961 | イギリス | Wokingham | 116 | ★ | 45 | 1989 | オランダ | ケルクラーデ | 525 | |||
18 | 1962 | スウェーデン | イースタード | 70 | 46 | 1990 | キュ−バ | Playa Giron | 153 | ★ | |||
19 | 1963 | ブルガリア | ブラツア | 550 | ★ | 47 | 1991 | スウェ−デン | 189 | ||||
20 | 1964 | オランダ | アムステルダム | 200 | ★ | 48 | 1992 | カナダ | モントリオール | 104 | |||
21 | 1965 | 日本 | 大津市 | 250 | ★ | 49 | 1993 | ブルガリア | ブラツア | 173 | |||
22 | 1966 | ハンガリー | ペーチュ | 900 | 50 | 1994 | 韓国 | チョナン | 241 | ★ | |||
23 | 1967 | オランダ | ロッテルダム | 90 | ★ | 51 | 1995 | ロシア | サンクトペテルブルグ | 303 | |||
24 | 1968 | スペイン | ラゴーナ | 130 | ★ | 52 | 1996 | ドイツ | 360 | ||||
25 | 1969 | スウェ−デン | ティレッセ | 120 | 53 | 1997 | イタリア | アッシジ | 470 | ||||
26 | 1970 | オーストリア | グラーツ | 200 | ★ | 54 | 1998 | クロアチア | リエカ | ||||
27 | 1971 | イギリス | エジンバラ | 150 | ★ | 55 | 1999 | ハンガリ− | ベスプレム | ||||
28 | 1972 | ポーランド | トルン | 250 | 56 | 2000 | 中国 | 香港 | |||||
57 | 2001 | フランス | シュトラスブール | ||||||||||
★:世界エスペラント大会開催国と同じ国であることを示す。 |
ponto-libroj ポント双書
1. | エスペラントの効用 | 山崎 静光 | |
2. | KS(コーソー)はエスペラント国への入り口だ | 田井 久之 | |
3. | エスペラントでインターネット | 青山 徹 | |
4. | エスペラントの現在(いま)−青年国際大会− | 木村 護郎 | |
5. | アマチュア無線で広がるエスペラントの世界 | 黒柳 吉隆 |
|
今後の企画に生かしますので、この双書へのご意見、ご提案を上記のメールアドレス
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