(財)日本エスペラント学会 第4回公開シンポジウム
「言語からはじまる民主主義〜ことばを変えると何が変わるのか〜」
◇参加者156名で無事終了しました。
日時: 2004年11月20日(土)午後2時〜5時30分(1時30分開場)
場所: 日本教育会館 (千代田区一ツ橋2−6−2)
地下鉄都営新宿線・半蔵門線神保町駅(A1出口) 下車徒歩3分
パネリスト:田中克彦(中京大学教授)/ ことばと民主主義
宇佐美まゆみ(東京外国語大学教授)/ ことばは社会を変えられるのか
野田幸雄(日本経済新聞社顧問)/ メディアと差別表現
中村桃子(関東学院大学教授)/ ことばとジェンダー
木村護郎(上智大学講師)/ことばと運動〜エスペラントの経験から
シンポジウムの趣旨
一国の政治制度を変えることは、もちろん簡単なことではありません。しかし、政治制度自体人間の
ためにあるわけですから、もし不都合があれば変えていく必要があり、また実際わたしたちは変えて
いこうとします。どのように変えていくべきかについて、職業的な政治家ばかりでなく、一般市民もああ
でもない、こうでもないと議論してその方向性を割り出そうとします。それが民主主義というものです。
市民の議論への参画の可能性がないということは、そこに民主主義がないということになります。
政治制度は、一種の社会制度ですから、以上で述べたことは、社会制度全般にも当てはまるでしょう。
そして、言語も一つの社会制度です。ということは、言語のあり方もわたしたちが大いにそのあるべき姿を
議論し、変えていく努力をしていいし、またその必要があると考えられます。ところが、現実はどうでしょうか。
言語にはさまざまな神話が覆いかぶさっていて、ともすれば個々人の手の届かないところに祭り上げられて
しまうことが多いのです。
個々の市民が、言語のあり方に疑問を感じ、異議を唱えようとすると、「常識」であることを装った
反対意見によって押さえ込まれそうになります。いわく、「そんな表現は美しくない・慣習に合わない・
聞いていておかしい」、「言語は自然に変わっていくもので、人為的に手を加えるべきではない」、
「言語を変えても、社会は変わらない」、「使う言語を変えても何も変わらない」・・・しかし、このような
「常識」は、実は、わたしたちの生活に大きな役割を果たす言語についてわたしたちが自由に議論し、
よりよい方向に変えていこうとする努力を押さえ込む、きわめて非民主的なものではないでしょうか。
もちろん、言語に関する人々の感覚はさまざまです。大切なのは、そのような多様な感覚を一つの
方向性にむりやりに持っていくのではなく、それぞれの感覚を大事にしながら、議論をしていくという
ことではないでしょうか。言語のあり方が一つの方向性に統一されていくということは、近代の社会では
「国語の統一」としてよきことと考えられてきました。しかし、それは特定の人々に都合のいいあり方を
強制されてきたことに他なりません。このような事態は民主主義的といえるのでしょうか。言語のことを
政治制度に置き換えてみれば、すぐに分かるはずです。
今回のシンポジウムでは、権力を持つ国家などの主体が一方的に言語のあり方を規定するの
ではなく、市民が市民として言語のあり方に介入し、これを変えていこうとしている現場に携っている
方々をお招きしました。一般市民が言語を変えようとすることにどんな意味や問題があるのかを
考えることによって、言語と民主主義や言語と差別の関わりあいについて考えていきたいと思います。
参考: パネリストの関連著書
宇佐美まゆみ編著『言葉は社会を変えられる』明石書店1997
言語権研究会編『ことばへの権利−言語権とはなにか』三元社1999
田中克彦『国家語を超えて』ちくま学芸文庫1993
同『差別語からはいる言語学入門』明石書店2001
同『ことばとは何か』ちくま新書2004
中村桃子『ことばとフェミニズム』勁草書房1995
同『ことばとジェンダー』勁草書房2001