[日本エスペラント運動100周年・世界大会招致]

(4)100周年・UK招致について疑問に答える

A: 日本エスペラント運動100周年
B: 世界エスペラント大会(UK)

  D = Demando, 問      R = Respondo, 答



【A: 日本エスペラント運動100周年】     (2002年8月に「答」作成)

D1:日本にエスペラントが紹介されたのが1906年でしょうか。
R1:いいえ。エスペラントの発表は1887年ですが、翌1888年には新聞に1行程度紹 介されたそうです。

D2:100年前の状態はどのようでしたか?
R2:1902年には、二葉亭四迷がロシアのウラジオストク滞在中にエスペラントを F.ポストニコフから学んでいます。長崎のフランス人ミスレルが1902年に英字新聞に投稿したので黒板勝 美が学ぶなど、ぼつぼつ日本でも知られて来て、1905年には最初のエスペラントに関 する本が出されたと言われています。そして、1906年には、日本エスペラント協 会(JEA)の発足と、そのJEA年次総会としての第1回日本エスペラント大会、そして二 葉亭四迷の学習書など、いっせいに花開きました。

D3:現在のJEI(日本エスペラント学会)との関係は?
R3:1906年創立のJEAは、運営のまずさから1919年にはたちゆかなくなり、その かわりに当時の若手が日本エスペラント学会(JEI)を創立した、という歴史がありま す。なお、JEA当初からの会員がある程度JEIに移行したこともあります。

D4:なぜJEIが呼びかけるのですか?
R4:日本で最大のエスペラント組織としての責任感からよびかけています。全体 的な組織ができたら、その一角をJEIはになうつもりです。

D5:各国の100周年ではどのようなことが行われましたか?
R5:ポーランドの100周年=エスペラント100周年は別格とします。一例をあげま す。フランスの100周年である1998年は、世界大会(モンペリエ)が代表的なもので した。

D6:エスペラント発表100周年(1987)ではどのようなことが行われましたか?
R6:ポーランドで記念世界大会、ポーランド他の数カ国で記念切手発行、その前 後の年を中心に記念出版等,UEAから、新しいエスペラント文学選集など。

D7:日本での50周年(1956)では何が行われましたか?
R7:1955年に「記念行事実行委員会」ができました。1956年の記念日本大会、記 念出版:日本で出版のエスペラント文学作品、科学文献、医学文献の目録、 「日本エスペラント運動史料」などです。

D8:すでに計画中の企画はありますか?
R8:まだ検討には入っていません。

D9:100年前の組織JEAと、第2次大戦後にできた同名の組織JEAとは 関係がありますか?
R9:いいえ。1906年に発足のJapana Esperantista Asocio (JEA)=日本エスペラント 協会(1919年に実質的に活動を終了)と、1946年に発足のJapana Esperantista Asocio(JEA)=日本エスペラント協会(1950年に解散を宣言。区別して「第2次JEA」と 呼ぶ場合もある)とは、直接関係がありません。


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【B: 世界エスペラント大会(UK)】    (2002年8月に「答」作成、◆は2003年3月、JEI招致後の補足)

D1: UKの主催はどこでしょうか。
R1: UK(Universala Kongreso de Esperanto)は、UEA(Universala Esperanto-Asocio 世界エスペラント協会)の主催です。
  ◆ Kongresa RegularoというUEAの規約によって運営されます。

D2: 招致のためにはどのような条件を整える必要がありますか?
R2: 招致は、日本ならUEAのLanda AsocioであるJEIそのもの、あるいはJEIと連携し た地方エスペラント組織が行います。その際は、開催地の自治体(あるいは国)の支 援をとりつけ、その証明文書を添付する必要があります。また、大会会場・宿泊ホテ ルがあることも条件です。西欧なら3千人クラスですが、日本なら1500人クラスが最 低でしょうか。
  ◆JEIそのものが招致しました。横浜市長の招待状を得ています。 参加者は1500人を想定しています。

D3: 正式決定までの経緯はどのようになっていますか?
R3: 原則として大会4年前(ですから来年=2003年)には、正式の招待をUEA役員会に行います。
  ◆2003年3月21日に招致状を発送しました。

D4:  正式に決定されるのはいつですか?
R4:  通常3.5年前にはUEAの事務局長が候補地を視察し報告をUEA役員に行います。 3年前(2004)のUEA役員会で正式に決めます。

D5: 来年以降ですでに決定されている開催地はどこどこですか?
R5: 2003年がスウェーデンの港町エーテボリ(エスペラント化してGotenburgo), 2004年が中国の首都、北京(Pekino)、2005年がリトアニアの首都、ビリニュス (Vilniuso ないしVilno)です。

D6: 日本招致の可能性は?
R6: 他の候補地の関係はありますが、UEA役員会で、次の要素で良い点をとれ ば可能と思います。
  (1)自治体を含めた地元の熱意
  (2)あまり近くに東アジアで大会がないこと:2004年北京の後が限界か。

D7: 日本で集めなければならない費用はどのくらいですか?
R7: 大会そのものには公式にはありません。UEAが全て大会そのものは支出します。 ただし、次の3つについての支出はあるでしょう。
  (1)国内でUKをもりあげるためのしかけ。
  (2)付帯行事として、シンポジウムその他の行事を開くための費用。
  (3)大会招待のためにUEA分を超えて日本の都合で支出する費用。
  ◆予定の会場(パシフィコ横浜)の会場費が、UEAの標準よりかなり高いので、 これを補う必要があります。

D8: 開催に当たって日本のエスペランチストは 何をしなければならないでしょうか?
R8: 公式面はD2に譲ります。他の面について述べます。
  (1)大会に積極的に参加し、運営に参加すること。大会は、Loka Kongresa Komitato (LKK)という数人から十数人の委員が主になりますが、それだけでは動きません。当日のことを 考えれば、受付・売店、あるいは半日・全日観光(ekskurso)の案内、そしてAntau^kongreso, Postkongreso の案内があります。そして、それを実現するためのエスペラント対応力があります。
  (2)大会にいたるまでに、各地でエスペラントについて広報し、国内でエスペラント に対する認識を高める、ということが、間接的ですが大きいことです。

D9: アジアでUKは開かれたことがあるのでしょうか?
R9: はい。1965の第50回大会が東京で、アジア初でした。その後、1986年の第71回 が中国の北京、1994年の第79回が韓国のソウルです。2004年の北京も決まっています。

D10: 第50回UK(1965年)と今回のUKとの違いは何でしょうか?
R10: 日本で準備すべき項目が極めて少なくなっていますまた,当時と経済環境など が異なり,企業の協力,特に金銭的協力はほとんど期待できないでしょう.

D11: 日本よりエスペランチストの数が少ない韓国やオーストラリアの経験で行か せるものは何でしょうか?
R11: 調査中です.

D12: 第50回UK(1965年)の様子を知ることができますか?
R12: 現在手に入る本では、 初芝武美「日本エスペラント運動史」(JEI刊、1998)が、招致の事情も含めて記載しています。 なお、当時の機関誌(JEIのRO誌、UEAのエスペラント誌)やKongreslibro はJEI図書館で閲覧できます。
  ◆1963年1月号のUEA機関誌に、当時のUEA会長で、UK日本招致に尽力した八木日出雄氏の "Tokio Invitas Vin" という記事があり、現在、ウェブページで読めます。

D13:招致は個人名義で行えますか?
R13:いいえ。(D2, D14参照)

D14:招致は地方会名義で行えますか?
R14:はい。ただし、JEIの支持が必要です。(D2参照)。

D15:IJK(Internacia Junulara Kongreso, 国際青年エスペラント大会)はUKと同 じ国でやるのでしょうか。(1965年日本や、2002年ブラジルは同じ国ですが)
R15: いいえ、そうとは限りません。ただ、世界的に見て、近い地域のことが多い です。


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