八ヶ岳エスペラント館のあゆみ
1994年

このテキストは、主としてROに発表された資料に基きました。これから、他の資料も参考に、内容を充実していく予定。(クリタ)

2003年6月1日更新



R.O.1994年7/8月号


財団法人日本エスペラント学会は4月14日、東京都杉並区在住の本学会正会員森田洋子さんから、ご自身が山梨県に新たに建設された下記の施設を一括してご寄贈くださる旨のお申し出を受け、4月17日の臨時理事会において、この寄贈を受けることを全会一致で決定いたしました。

表紙とこのページの写真でご覧のように、この施設は北欧を思わせる八ヶ岳南麓、からまつ林のしずかな環境の中に建設されていて、20〜30名の宿泊が可能です。小規模の研修や会合を自然のゆったりとした雰囲気の中で行えると期待されています。交通はJR中央線「小淵沢」で小海線に乗り換え、一駅目「甲斐小泉}下車、徒歩7分。

本学会では、当面の財産譲渡に関する課題を扱う委員会(担当、初芝武美総務部長)を設けるとともに、同施設の利用・運営について検討する準備委員会を別に設置して、広く皆様方からのご意見やご協力をいただくための方策を含め、利用、運営についての基本方針などを総理して、改めて会員の皆さまのお知恵をお借りすることになろうかと思います。ご協力よろしくお願いいたします。

財団法人日本エスペラント学会理事会


物件の表示

  1. 山梨県北巨摩郡長坂町大字小荒間字信玄原1897番1、山林536u、同所1898番1山林167u
  2. 同李上の建物木造鋼板葺3階建宿泊棟延399.62u、同2回建食堂・ラウンジ棟延255.17u
  3. 付帯する機器備品;給油ボイラー1台、クリーンヒーター4台、オイルタンク1台、照明器具一式、台所設備一式、洋風風呂1槽、貯水槽。




R.O.1994年9月号

八ヶ岳だより N-ro 1

財団法人日本エスペラント学会八ヶ岳エスペラント館
開所式ご案内

謹啓
今年は殊のほか暑さ厳しく、また残暑が続くおりにもかかわらず、益々ご清栄のことと拝察しお慶び申し上げます。平素からエスペラントに深いご理解を賜り、エスペラント普及にご協力を頂き、厚く御礼申し上げます。

このたび、財団法人日本エスペラント学会は、山梨県の八ヶ岳南麓に「八ヶ岳エスペラント館」を開設することになりました。

八ヶ岳エスペラント館は、標高1,000メートルに位置し、北欧を思わせるカラマツ林の静かな環境に建設された施設で、本学会正会員森田洋子さんから本学会にご寄贈頂きました。この施設が東京都の早稲田にある「エスペラント会館」の図書館分室として、またエスペラント関連の宿泊・研修施設としての役割を果たすと共に、エスペラント運動の新しい拠点として活用され、世界のエスペラント界の名所となることを期待しております。

この八ヶ岳エスペラント館の開所式を、ささやかながら下記のようにとり行いたいと存じます。つきましては、ご多用中ご足労をお掛けいたしますが、ご出席いただきたく、ご案内申し上げます。
敬具

日時:1994年10月1日(土)午後1時30分
場所:山形県北巨摩郡長坂町大字小荒間字信玄原1897番1
八ヶ岳エスペラント館
電話:(0551)32-7335


ごあいさつ

森田洋子

森田茂介遺族代表・JEI正会員


この度は、私どもの寄贈の申し入れをいたしました物件をお受けいただき、遺族一同大変喜んでおります。故人森田茂介は学者としても、建築設計家としても、生涯にわたって北欧建築をそのメインテーマとして、よくかの地へ視察旅行を重ねました。加えてその後半生においては、縁あって少年時代から関心を寄せていたエスペラント語に親しみ、妻の私を誘ってともに学習し、国の内外のエスペランチストとの交流を通じて、エスペラント語の発展に“希望”を託しながら、1989年1月に世を去りました。

私どもは、そのひそやかな遺志を継ぐべく、故人がこよなく愛した八ヶ岳の南麓の地に施設を創建いたしました。そしてその施設が、財団法人日本エスペラント学会が目的として掲げる「国際語エスペラントの普及発展を図ること」と、それに関連する事業のために、有効に利用されるように望んでおります。

この計画は故人が生前より心の中に温めていたもので、私どもが現地に土地を取得した1991年より具体化されてきました。そして当初より、財団法人日本エスペラント学会にご活用いただきたいとの希望をもっておりましたが、私が直接学会にご相談申しあげなかったために、紆余曲折を生みました。しかし今、原点に戻り、当初の願がかなえられて本望でございます。

ここに至りますまで、日常のエスペラント活動でお忙しい中を、関係者各位に労をおわずらわせし、また、さまざまなお励ましをいただきましたことを、こころよりお礼申しあげます。

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八ヶ岳エスペラント館の概要 略
寄付者・物品寄贈者一覧 略
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宿泊体験者の声@

八ヶ岳エスペラント館管理についての提案:
「ライセンス制度」


栗田 公明 (正/静岡県)

8月15日から17日まで「エスペラント館」の草取りに行ってきました。
エスペラントのことは、まだJEIの会員にはほとんど情報が入っていないと思います。私はJEIの参与そして、準備委員会のことなどについての文書を受け取っていて、いくぶん責任も感じ、ささやかながらお手伝いに行って来たわけです。

最初エスペラント館のことを聞いたとき、そんな不便な場所に家を持っても持て余すことになるのではないか、と考えました。私の家の近所(伊豆・箱根)にもさびれた山の家がたくさんあります。かえって、所在地がオーストラリアあたりならば利用の仕方もあるのではないか、などと考えました。JEIの現職の役員のなかにもそういう印象をもった人が多いのではないかと思います。

行ってみて、評価や見通しがかわりました。その要点を書いてみます。

1.建物が本格的だということ。寄贈者のご主人(森田茂介氏)は魅力ある建築家で、北欧建築を愛した方です。設計を担当された建築家の高橋光嘉さんはこの方のお弟子だんで、他にもムードある建築の作品があります。

2.準備委員の努力の結果、内装、家具などにも(贅沢ではないが)神経がゆきわたっていて、まわりの森の効果と相まってしずかな対話や休息に適した雰囲気をかもしだしています。海抜1000メートルを越える土地にあって、夏でもクーラーも不要、快適です。

3.車で行っても、JRで行っても、それほど行きにくい場所ではありません。山の道路は都会の道路よりも走りやすいのが通例です。まわりにあるめぼしい vidindajxo を列記すると:三分一湧水、八ヶ岳南麓天文台「星の村」、ポールラッシュ記念館、清里北里美術館、ホール・オブ・ホールズ(オルゴールと陶器の博物館)、美しの森、八ヶ岳自然文化園、原村村営樅の木荘(公共温泉)、伊藤近代美術館、井戸尻考古学館、サントリーウイスキー博物館、清春白樺美術館、ララミー牧場、すこし足をのばせば、野辺山の国立天文台や、日本で一番高い位置にあるJRの野辺山駅などにもいけます。

フランスのグレジオンにある kultura Esperanto-Domo, ブルガリアのヴィトーシャの山にある Esperanto-Domo, スイスのラ・ショードフォンにある Kultura Centro Esperantista などと並んで、これが世界のエスペラント界の名所の一つになり、日本へ来る外国のエスペランチストが必ず訪問するような場所になると思いますし、その方向でアイデアをねらなければならないと思います。

1960年代に、日本のエスペランチストだちは、大都市から離れた場所で、少人数で内容のある合宿を重ねました。これが現在のエスペラント運動の礎になったことは否定できません。いま、日本のエスペラント運動はまた新しい転機を迎えていますが、ここは、こういう時代にふさわしい場所です。

果たして人がくるだろうか、という人がいますが、私はその心配はしていません。これだけの場所ですから、しっかりした哲学をもって運営にあたれば、可能性は無限にあります。

一番むずかしいのは管理・運営の問題だと思いますので、わたしは、privatulo として、管理・運営に関して一つ提案をします。

ライセンス制度について

エスペラント館の運営のために委員やJEIに関係のある協力者が交代でくることができるのは、頑張っても土・日ぐらいだと思います。それ以外の日はどうするのか。

このために私はライセンス制度を提案します。(今はいろいろの問題が取りざたされていますが、動き出してからの最大の問題はこのことだと思います)

考えてみただけでも、館の掃除、戸締り、日の始末・管理、ゴミ、ベッドのシーツ・枕カバーの扱いなど、日常的に必要ことがあります。

第一に、一般用のマニュアルと細かいマニュアルを作る。
土・日に現地で、マニュアルと実際(戸締りなど)を参考に講習会を開く。この講習会に参加した人にライセンスを与え、名簿を作る。講習に参加できる条件をJEIの正会員だけとするのがよいと思う。(責任があるから)

ライセンスを持っている人は、館のカギをあずかることが出来る。つまり、ライセンスを持っている人は、自分の周囲のエスペランチストなどをさそって研修・合宿などに館を利用することができる(宿泊できる人数は、全部で12〜15人)、この場合、宿泊の記録簿には、出ていくときの状況だけでなく、来たときの状況(その前の人の後始末)などについても書く欄をつくっておく。

館を公益事業(大雑把に言うと、税金がかからない)として運営する場合は、利用コストは他と比較して安いという利点がありますが、利用する側には、それだけの責任があることになります。ライセンスが成り立つためには、それにともなう利益がなければならないが、この館ならば、その利益は充分にあるはずです。

私がこれをしつっこく提案するのは、管理にのみ視点が集中し過ぎて、制限だけが咲きにたってもいけないし、また、あまりルーズになってもいけないと思うからです。私は学校の先生だったから、この二つの傾向の間でうまくことを選ぶことのむずかしさはよく心得ているつもりです。



宿泊体験者の声A

八ヶ岳エスペラント館見学
青春18切符の旅


藤本ますみ(正/京都府)

JEI機関誌「エスペラント」の7・8月号に、理事会の「山梨県に学会施設が誕生」の記事と寄稿者森田洋子さんの「ごあいさつ」が掲載された。これで正式にきまったと知って、何はともあれ、安心した。これまで、とぎれとぎれの噂がわたしの耳に入って来ていたから、どうなることやら、と気になっていたところだった。

場所はJR小海線「甲斐小泉」駅下車徒歩7分をある。小海線といえば33年前、学会主催の第1回合宿があった「野辺山」に近いところだ。それに参加したわたしにとっては、なつかしい鳥である。ぜひ見にいきたいと願っていたところ、開設準備委員会代表の高瀬好子さんからお誘いがあった。理事は早いうちに見にいくように、と言われていたらしいが、それに便乗して、正会員であるわたしも見学させていただくことにした。

今回の旅は夏休み中だから、かねて話に聞いている「青春18キップ」というのを使ってみたいと思い、京都駅にたずねると、ただ今発売中とのこと、これは、春、夏、冬休み期間に安い料金で旅行ができるように、というJRのはからいで「普通列車一日乗り放題」のキップ5枚綴り11,300円で発売されている。夏休み期間の分は、7月31日発売開始、7月29日から9月10日まで使用できる。1枚2,260円なら往復で4,520円、夫婦でいけば4枚使うから損はしない。念のために京都-甲斐小泉完間の普通列車の料金を計算してみたら、往復で一人15,000円以上かかることがわかった。

安上がりの旅行には違いないが、時間のほうはどのくらいかかるのかしら。7月14日の早朝にいえを出て夕方までに現地に着くと想定して、列車の時間を調べた。その結果、次の予定で行くことにきめた。京都駅8:02分発-米原9:11分着(乗換)、米原9:21発-名古屋10:20着(乗換)、名古屋10:40発-中津川11:47着(乗換)、中津川12:00発-塩尻13:30着(乗換)、塩尻13:53発-小淵沢14:43着(乗換)、小淵沢15:33発-甲斐小泉15:41着。実際は夏の臨時列車があったので、予定より早く着き、家を出てから約7時間の旅だった。

高瀬さんからいただいていたイラスト地図の方向に歩いて、少し迷い道をしたけれど、無事、落葉松林の中にある写真で見たとおりの建物にたどり着いた。森田さんの出迎えを受けてご挨拶をしているところへ、東京からの高瀬さんが到着、さっそく荷物を部屋に運び、中を案内していただく。傾斜地に建てられた建物は、奥に二階建屋根裏部屋つきの宿泊棟、そこをいったん外に出て階段を降りると食堂をだいどころがある。そこと屋内階段でつないで、二階建て六角形の研修棟がある。建物は一言で言えば、最高に工夫してこしらえた設計で、窓からの明りと通り抜ける風が心地よい。こんなところで一夏をすごせたらいいのになあと思って、そうだ、来年の夏からはそれも夢ではないのだ、と気がついた。翌日午後、設計者の高橋氏にもお会いして設計・施工のお話を伺った。

JEI理事会は10月1日に開館を予定しており、弁財、利用・運営の方針を策定中とのことである。が、会員も理事・評議員まかせにしないで、まずはここを訪れて、これからの課題について、ともにじっくり考えてみる必要があるのではなかろうか。

八ヶ岳エスペラント館を見学し、活用について話し合う会に参加しませんか

今回、八ヶ岳エスペラント館に宿泊させていただいて、関係者の方々と語り合っているうちに、この施設の活用についてはJEIの会員一人一人が「我が子と」として真剣にとりくまなければならない課題である、と痛感いたしました。そこで、希望者を募って話し合ってはどうか、と考えました。開設準備委員会は、今年度は試験期間で一人でも多くの方に来ていただきたい、と希望しています。

開設準備委員会の許可が得られましたので、下記の要領で参加者を募ります。ご希望の方は、藤本ますみ宛FAXでお申込みください。12名まで受け付けます。
  1. 日時:1994年10月8日(土)〜10日(月)2泊3日
  2. 集合場所:八ヶ岳エスペラント館(仮称)
  3. 参加費:実費(宿泊費・星の村天文台見学費などを含めて1万円前後、交通費は各自負担)
  4. 参加資格:JEI会員
  5. 連絡先、FAX番号075-711-4558(住所、氏名、FAXまたは電話番号をお知らせください)


管理者(開設準備委員会)日誌 @

1994年5月17日〜8月31日

  • 4月14日(木) 森田洋子(正/東京都)さんから、施設寄贈の申し入れ
  •   17日(日) 臨時理事会にて、寄贈受諾を決定
  •   18日(月) 受け入れに関する事務・関連財務担当として高瀬好子を非常勤の嘱託事務局員(無給)に委嘱
  • 5月17日(火) 管理権が本学会に正式委譲
  •   22日(日) 理事・評議員会で、石井義章、田井久之、ドイ・ヒロカズの評議員3名に、管理・運営のための組織・留意点についての検討を付託。
  • 6月29日(水) 上記3名から理事会へ答申提出
  • 7月1日(金) 「開設準備委員会」設置、高瀬好子(終/東京都)、荻原克巳(正/山梨県)、浜田由美子(=石井由美子 家/埼玉県)の3名に委員を委嘱(任期1994年12月31日まで)
  •   1日(金) 現地・日帰り/第一回委員会(荻原・高瀬・浜田+協力者 森田・原田喜三郎)。
  •   3日(日) 東京/家具下見(高橋+協力者:森田)
  •   6日(水) 東京/森田洋子宅で打ち合わせ(高瀬+初芝理事・石野事務局長+八木沼弁護士)
  •   9日(土)〜10日(日) 現地・原田のペンションに1泊/第2回委員会(高橋・浜田+協力者:石井義)備品購入)
  •   15日(金) 東京/ベッド、食卓、椅子発注(高橋・浜田)
  •   19日(火) 東京/理事長へ報告(高瀬・浜田+山崎理事長・石野事務局長)
  •   28日(木)〜8月1日(日) 現地・4泊/清掃・家具搬入立会い。生活用品購入・運搬(萩原・高瀬・浜田+協力者:森田・石井義)
  •   30日(土) 第3回委員会(荻原・高瀬・浜田)
    8月9日(火) 東京/家具類発注・理事会への報告と打ち合わせ(高瀬・浜田+山崎理事長・石野事務局長)
  •   10日(水) 現地・日帰り/電話設置工事立会い(荻原)
  •   14日(木)〜17日(水) 現地・3泊/訪問者・試泊者と意見交換(荻原・高瀬・浜田)
  •   16日(火) 理事3名が訪問(初芝理事日帰り・犬丸理事1泊・藤本理事2泊)第4回委員会(荻原・高瀬・浜田)
  •   17日(水) 高橋設計士・施工者と補修・追加工事について打ち合わせ。
  •   21日(日) 現地・日帰り訪問者受け入れ(高瀬)
  •   23日(火) 現地・日帰り/第5回委員会(高瀬・浜田)
  •   24日(水)〜25日(木) 現地・2泊/清掃(協力者:藤島敏子・池谷芙美)

利用(試用)日誌@

  • 1994年5月・6月 日帰り:延べ17名、宿泊:延べ20名
  • 1994年7月 日帰り:延べ17名、宿泊:延べ20名
  • 1994年8月 日帰り:延べ38名、宿泊:延べ88名
    うち、外国人2名 
    イワニツキ・ワジック(ロシア)
    マッティ・ラハティ・ティネン(フィンランド)
                    計 163名


1994年10月号

八ヶ岳だより

八ヶ岳エスペラント館を日本のグレジオン城にしよう

(財)日本エスペラント学会


八ヶ岳南麓の高原に、新たに開館する「八ヶ岳エスペラント館」は、地域の人々や近隣の文化施設との調和をはかりながら、次のような活動を計画しています。

1.エスペラント図書館として機能します。

国際共通語エスペラントが1887年に発表されてから100年以上、その普及活動が日本で開始されてからでも約90年。この間に膨大な数のエスペラント語で書かれた書籍、あるいはエスペラントや国際語案に関する文献が出版されました。本学会が世界各地から集めた文献は東京早稲田のエスペラント開館内の図書館に所蔵され、研究、学習に利用されています。八ヶ岳エスペラント館は、図書館の分館として、これらのうち、エスペラントを知らない一般の方々にも楽しめる・読める文献を選んで所蔵するよていですので、エスペランチストだけでなく、地域の一般の方々にも開かれた図書館になります。

2.エスペラント研修施設として機能します。

世界を見ると数多くのエスペラント研修施設があって国際的に活用されていますが、日本にはこれまでそのような施設はありませんでした。この八ヶ岳エスペラント館は、そのような、世界に向かって開かれた研修所となることを目指しています。

みなさんの積極的な利用で、八ヶ岳エスペラント館を日本のグレジオン城にしようではありませんか。

註)グレジオン城:フランスのロワール渓谷のシャトーの一つで、エスペラント文化センターとして有名。


小荒間建築雑記

高橋充宜

(元 森田服部建築設計事務所所員/
現在 轄カ伝石灰工房代表取締役)



私が初めて小荒間を訪れたのは今から25年も前のこと。恩師森田茂介先生が山荘を建てられることになり、その地縄張り(建築の位置を決めること)のお手伝いに、先輩たちのお供をして来たときのことである。100坪あまりのその土地は田んぼに囲まれた牧草地で、樹木は一本もなく、元の地主が牛を1頭飼っていた。

来たに八ヶ岳、南にはアルプス連邦、南東に富士山、さらに続いて東に秩父連山が一望できる。中学生の頃から山歩きをしていた先生にとっとは、このあたりに山荘をたてるのが夢だったそうだ。また、愛読されていたノルウェーの文学者アルネ・ビヨルンソンの「日向ヶ丘の少女」(エスペラント訳もある)の影響もあったとうかがっている。

先生ご夫妻はたびたび山荘に行かれたが、たいていは私か同僚の小川君の運転する車でであった。当時の私は、森田服部建築設計事務所の新参者。数人の大学院生も出入りしてはいたが正式の所員ではなかったので、結局、私が最後の弟子ということになろう。

今回のエスペラント館の土地探しは、先生の没後、1991年春から始まった。小荒間近辺、蓼科の三井の森(長野県)、茅野市(長野県)周辺など、何か所もさがしまわった末、その年の暮近くになって、結局森田山荘に近いということで、この地に定めたのである。

具体的な設計においては、土地の形状が極端に不整形であり、また、周辺の景色や眺望がすぐれているわけでもないため、何を拠りどころにしたらよいのか、大いに悩んだ。そして、数案の中から3案を選んで比較検討してみた。

・A案:全体を1棟におさめ、1階に食堂、ラウンジ、研修室、2回に宿泊室
・B案:全体を1棟におさめ、共用空間である食堂とラウンジを2階に。
・C案:全体を2棟に分け、共用空間である食堂、ラウンジ、研修室のある棟と、宿泊棟を、中庭をはさんで配置する。

A案、B案では建築費を低く抑えられる反面、敷地が傾斜しているため屋内に多くの段差が生じる、建物が巨大になるため不整形な敷地にはおさめにくく、かつ周囲の風景にそぐわないという不満がある。その点、C案では建築費は高くなあるが、A案、B案でのような欠点は生じない。森田夫人も分割して建てることを考えておられ、すんなりとC案に決定した。

分割案採用の背景をもう少し説明しておきたい。すでに述べたように、特色ある立地条件ではない。三方は林であり、唯一開かれた東南側の景色も散漫である。そこで、中庭をはさんで両棟を対峙させ、主たる開口部を中庭側に設けた。そとの景色よりも、墓庭として取り込まれた景色を見ながら生活することになる。また、その中庭は、単に両棟を結ぶ道路なのではなく、団欒の場となりうる。中庭こそがこの建物の中心なのだ。

建物のデザインにも触れておきたい。この散漫な風景のなかにどのような形を置くのがふさわしいかが、ポイントである。そこで、一見矛盾しているとも思える「自然との対比と対話」というのが、私のとった手法であった。自然界には存在しない二等辺三角形をした屋根、変形八角形をした搭乗の建物、視界を鋭く切断する軒先線など、幾何学的形を配置することで周囲の空間に規律(緊張感と言ってもよい)を与えたかったのである。さらに、もの幾何学的な建物を松板の外壁で覆い、自然にもっともなじむであろうグレーにぬることで調和をはかった。

ともあれ、このような大切な建物の設計をまかせてくださった森田夫人、そして建築を通じて私を育ててくださった今は亡き森田茂介先生に、心から感謝するしだいである。


エスペラントと建築と森田茂介

―八ヶ岳エスペラント館の寄贈は、彼が遺した夢の実現です―

森田洋子(正/東京都)・森田茂介遺族代表



エスペラントとの出会いは、森田が中学(旧制)1−2年のころだったと聞いています。当時、ラジオ語学講座にエスペラントも含まれていて、私の兄も弟も少々かじっていましたので、小学生だったわたしも「tablo=机」とか「saluton!=こんにちわ」くらいは知っていました。1978年、大阪淡友会(淡路島出身者の会)が出版していた『淡友会誌』に、森田は、「希望」という題で6ページにわたるエスペラント紹介の記事をのせました。そのしめくくりの部分で、つぎのようにエスペラントに関わる夢を述べています(一部の誤字などのみ訂正して引用)。

世界語の集団教育の実践:私は畑違いだが、かって小林英夫さんの『言語学通論』を読んで深い感慨を受けた。学問の根源的な手段である言語に関する学はかくのごときものかと知らされた。エスペラントは言語学上の一つの創作なのだと思う。言語学者はどう見るのかは知らないが、私はエスペラントを言語学的演習として接してきたようだ。そこで、もしある大学が学問の根底として言語科学を、たとえば創立100周年事業の一つとして開設し、そこをエスペラントの研究・教育の拠点ともするならば、それは理論的にも、また一つの試みとして有意義なものになるのではないかと思うのである。今後エスペラントが発展するか、あるいは停滞するか、私にはわからない。しかし、世界的な創作・実験の運命に関係することは有意義なことではあるまいか。今まで多くの個人的な発意によって学ばれてきたエスペラントが組織的拠点を学問の場に得るというのは歴史的であり得るだろう。

チョムスキーについては名のみ知るに過ぎない私であるが、言語活動は極めて内在的なものなので、将来世界人類はエスペラントよりさらに普遍的な伝達手段を創り出すことになるのかも知れない。それならそれでエスペラントを含む言語学科を創設する意味がなくなるというものでもないと信ずる。(後略)

他方建築との出会いは、母が愛読していた『婦人の友』という雑誌からでした。口絵や記事の中で、アメリカの天才建築家フランク・ロイド・ライト氏設計の自由学園の建物を知り、感銘を受けたそうです。森田が建築家になろうとしていたのは、中学(旧制)の高学年のその頃だったと話していました。ライト氏とその協力者であった建築家遠藤新氏との建築理念に教えられ、その影響を大きく受けたのだと思います。その頃の私は朱学校を卒業して自由学園に入学したばかりで、自由教育の星辰に基いた教育を、その建物の中で夢中になって吸収している最中でした。

森田は、建築はもちろんのこと、文学、音楽、家具、什器にいたるまで、北欧のすべてのものを好み、愛していました。建築では、スウェーデンのメーラレンコに面したストックホルム市庁舎の建物がとくに好きでした。結婚前にはじめて森田の家に招かれたとき、最初に見せられたのが、市庁舎の建物の下、アーチ型の柱が美しく並んでいるピロティ―の写真でした。1980年、そのストックホルムで題65回世界エスペラント大会が開催され、おまけに市庁舎の「黄金の間」で晩餐会が行われることになりました。晩餐会の費用2人分100クローネは私どもの懐具合では少々つらい出費でしたが、フォルケット・ピュの会議場受付で興奮に震えながら払い込んでいた森田の姿が今でも目に浮かびます。私家版として出した「Gxojo arkitektura=建築の楽しみ」にそのときの様子がかかれていますので、一部をご紹介させていただきます(一部の誤字のみを訂正して引用)。

ラグナー・エストペリ設計のストックホルムの市庁舎と言えば、50年前建築学科の学生だった頃、素晴らしい建築として岸だ先生に教えられた。また私淑した建築師吉田鉄郎さんが系統しておられた建物だったし、早大の今井賢次さんもそのようだった。それにストックホルム市庁舎の黄金の間というのは、ノーベル賞授賞式がイヴァール・テンポム設計の音楽堂で行われた後、宴会が催される会場でもあると聞き知るようになった。・・・・・・プログラムにはbalo(舞踏会)とも記してあるが、それが行われるのは「黄金の間」の隣の「青の間」に違いない。建築家にとって建築は見るだけののもではなく、体験すべきものでもあるだろう。
1980年7月4日夕方5時、参集時刻の30分前、市庁舎の前に立った。北欧の夏の日は暮れるにはまだ数時間はある。 ・・・・・・・数百人のエスペランチストが次第に集まってきた。トンキン会長夫妻をはじめとして日本人も数十人。・・・・・・・
私の同伴者は家内、フィンランドの同志で家内のペンフレンドのヴィルホ・ペンティッラさんどその同伴者。4人が揃って座れる場所はあるかしら。中程より奥にまだ空いている席のある卓子が見えた。そこには篠田秀男さんがひとり座っておられた。世界エスペラント協会(UEA)の名誉会員、山形に大病院を持つ著名なエスペランチスト。いや、スウェーデンの民族衣装を着た婦人たちも座っていたか、私たちと一緒に座ったのだったか。誰かがそこはヴェジタリアン[菜食主義者]の席ですよ、というのが聞こえた。・・・・・・・席には何の標識もない。・・・・・・・・・その8人掛けの円卓も満席。飲み物の注文をききにくる。・・・・・・・・白ブドー酒も注がれた。赤ブドー酒も。・・・・・・・・・篠田さんはvinoをあがっていい気分になり、隣のEsperantistinoj[エスペラントを使う女性たち]、向かいのペンティッラさんに適切なエスペラントの単語をパッパッと投げつける。そしてみんなの注意をひきつけ、話の中心になって行く。・・・・・・・・ペンティッラさんがフィンランド人だと知ると、あなたもアジア人の仲間だ。勇猛果敢だ。ではジンギスカンのために乾杯!という具合。
・・・・・・・・ そして主菜が運ばれてきた。大皿に盛られた野菜。青豆、にんじん、コーリフラワーなどなど。山のようにある・・・・・・・・ 隣のテーブルには魚や肉が出ているらしい。・・・・・・・・白ブドウ酒、赤ブドウ酒が継ぎ足される。・・・・・・・・ 私たちの食卓はまことほがらか。でもこのワインにふさわしい魚肉、牛肉があったら、ああ残念 bedauxre! 無念 domagxe!
でも私はこうも思いました。エスペラントはこんなものであってはいけない。もっと、もっと沢山の人々が日常の場で使うようにならなくてはいけない。すばらしい宴会はよくても、そこに魚や肉がなかったのは、私にとって一つの教訓であったのかと。
宴も終わり、下の青の間では balo の用意もできたようです。楽の音が聞こえてきました。・・・・・・・・
これらの森田の文章から、私どもが(財)日本エスペラント学会にこの建物を寄贈した意味を少しでも汲み取っていただければさいわいです。
エスペラントのおかげですばらしい体験もでき、私どものまわりの世界もひろがって行きます。これは世界のエスペランチストの共有の喜びたど思います。100数年前にザメンホフによって創り出された国際語エスペラント。そして日本でも多くのエスペランチストたちが自宅を開放し、普及のためにつくされら数々の業績。それらに続く努力の一つとして、この美しい小荒間の地にもエスペラントの草の根の輪を広げることができたら、そしてこの建物がエスペラントに関心をもってくださる方々のための研修と憩いの場となれれば、この上なくさいわいと思います。このささやかな施設が一粒の種となって、次の100年には大樹をなることを願っております。


八ヶ岳エスペラント館を支える募金のお願い

(財)日本エスペラント学会


このたび本学会は、正会員森田洋子氏から寄贈を受けて、山梨県北巨摩郡長坂町小荒間に「八ヶ岳エスペラント館」を開設いたしました。この施設は八ヶ岳の南のふもと、北欧を思わせる標高1,000メートルの静かなからまつ林に立っています。それは、すぐれた建築学者として有名な故・森田茂介氏の遺志をついで建設されたもので、約700uの敷地に立つたてもの2棟は、エスペラントの発展に希望を託されていた動詞の熱い思いをそのままに表現しています。

いまこの建物は、名実ともにエスペランチストの共同財産として、私たちにゆだねられました。私たちはこれを「エスペラント第2世紀」を創出する共同の土壌として、有効に活用する責任を強く感じます。

八ヶ岳エスペラント館は国内外エスペランチストの宿泊・交流・研修・研究施設として、活発に利用されることでしょう。快適な教室・寝室・食堂・ホールなどが、多くの可能性を秘めて、私たちを待っています。

八ヶ岳エスペラント館は本学会の図書館の分室として機能します。そこにはエスペラントの世界を形作ったかずかずの貴重な図書や資料が収納・展示され、必要に応じて一般にも公開される予定です。

八ヶ岳エスペラント館はこの地域の新しい文化情報の発信基地としての役割も担うはずです。近くに公私の美術館・博物館などが点在し、それぞれの分野で独創的な活動を続けています。私たちもここで、エスペラントによるさまざまな企画を打ち出すなどして、地域にも開かれた文化の拠点を創造したいと思います。

もちろん八ヶ岳エスペラント館にもとめられているのは、これだけではありません。この施設に期待をよせるエスペランチスト仲間の英知と支えこそが、この施設の活用の尺度を質量ともに広げ、日本ではじめてのエスペラント館の開館に向けて内部の施設や備品の整備に取り組んできましたが、それには約500万円を必要とする見込みです。さらにこの施設を安定した軌道に乗せるには、恒常的な資金の支えが必要です。

そのため私たちは、下記の要領で八ヶ岳エスペラント館を支える募金を皆様にお願いすることに致しました。八ヶ岳エスペラント館の財務は特別会計として処理され、本学会の機関が責任をもって管理・運営いたします。

国内害の仲間の期待にこたえて、八ヶ岳エスペラント館が力強く成長するよう、皆様の語視点をお願いする次第です。

募金要領

1口:   5千円(何口でも、何回でも)
募金目標: 1000万円 (95年3月までに500万円)
最終期限: 95年12月31日
送り先:  郵便振替00100-3-721166「八ヶ岳エスペラント館」
         専用振替を用意しました。ご利用ください・
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