講師: 木村護郎クリストフ氏
2010年10月3日(日) 10:30~11:00
グローバルフェスタ2010: 日比谷公園(東京)にて

日曜朝早くからどうもありがとうございます。木村といいます。よろしくお願いします。今日は国際協力に果たす言語の役割について考えてみたいと思います。時間がないのでさっそく入ります。これから国際協力をしようと思うときに、言語に関して一番大きな問題、一番基本的な問題は何でしょうか?
(会場から) 話せる言葉があるかどうか
(会場から) 内容が深く話せる言葉があるかどうか
はい、そうなのですが、実はもっと基本的な問題があります。それは何かというと、「そもそも言語が問題として認識されていない」ということです。このグローバルフェスタには多数の団体が出展していますが、言語に焦点を当てているのはおそらくここだけです。みなさんは実に貴重なワークショップにお越しいただいたわけです。一般的には、言語については、「何とかなる」、「間に合ってます」、あるいは「何ともならない」と考えられていると思いますが、そうではない、という話をしたいと思います。言語の問題は「何とかなる」で済まされる問題ではないのではないか、ということが今日提起したいことです。
今日私が言いたいことは次の二つです。一つは、このグローバルフェスタのテーマでもあるミレニアム開発目標は、8つの目標で貧困を削減することなどが大きな目標になっています。このことに関して、言語の問題を真剣に考えないと、絶対にこの目標を達成できない、ということを断言したいと思います。そして二つめは、ある言語を国際協力で使うとき、「なぜその言語を使うのか」、ということも真剣に考えないと、思い通りにいかない、ということもお話したいと思います。
そのために二つの問いを用意しました。一つは「貧困の削減に言語が鍵になるというのは本当?」という問いです。もう一つは「英語ができないと国際協力はできないの?」という問いです。この二つの問いに即して考えていきたいと思います。
まず一番目について皆さんに考えていただきたいのですが、貧困の削減に言語が鍵になるというのは本当でしょうか。
(会場から) 本当
どうしてですか?
(会場から) いいコミュニケーションがないと、協力関係が築けない
そうですね。端的に言うと、現地の人たちが何を思っているかということがこちらに伝わらないと、トンチンカンなことになるわけです。一つ例を挙げます。ある国際協力関係の大学院の学生が、ある東南アジアの国に行きました。ホテルに泊まって、そこから毎日村に通って調査して、村の開発計画を立てる、ということをやったわけです。フィールドワークです。最終日に村の集会所のようなところに人々を集めて、学生たちが「こういう開発をしたらいかがですか」と発表しました。ところがそれが終わった後で、村長さんが立ち上がって、「一生懸命考えてくれてありがとうございました。しかし私たちには私たちのやり方があります」と言ったわけですね。つまり当人たちは一生懸命考えたけれども、向こうの言いたいことは全然伝わっていなかったわけです。
逆に、日本の人たちも、開発に関していいアイデアがあるという時に、それを伝えることができないと、まったく無意味です。例えばハコモノを向こうへ作って持っていったところで、絶対貧困が解決するはずがありません。現地の人たちに対して伝わらなければいけません。ミレニアム開発目標の8つの項目すべてが、言語が鍵になっていると思います。例えば、妊産婦の健康の改善という問題について、いかに日本でいい考えがあっても、それが現地の人に伝わらなければ何の意味もありません。実際に子どもを産むお母さんたちに伝わらなければ何の意味もないわけです。
ということで、まず、一つめの問いに対しては本当である、ということがお分かりいただけたと思います。それでは次の問題として、現地と日本がつながるために、どういう言語が考えられるでしょうか?アフリカでもアジアでもどこの国でもいいですが、何語でつなげますか?
(会場から) 日本語
(会場から) 英語
(会場から) 現地の言葉
(会場から) エスペラント
はい、ではこの4つについて考えてみたいと思います。
まず、日本語で現地と会話している例としては、例えばモンゴルのように、日本語と近くて日本語ができる人が多いところでは、確かに日本語で援助をやっています。しかしそれは例外です。通常は英語か、現地の言葉か、あるいはエスぺラントを使うことになります。一番多いのは英語です。このグローバルフェスタを回っていただいても、圧倒的に多いのは英語です。9割方が現地で英語を使って援助をやっていると思います。
それでは英語で現地と関わる長所は何でしょうか。
(会場から) 現地のインテリはみんな英語を知っている
そうですね、日本ではエリート意識はあまりないかもしれませんが、現地の場合はエリートです。例えばインドは大きな英語国ですが、インドで英語ができる人は何パーセントだと思いますか?
(会場から) 意外と少ない?
はい、数え方にもよりますが、だいたい5%から10%、多くて20%です。インドに行くと、みなさんは英語を使うでしょう。ところがそれは、みなさんと出会う場所だけの話で、インドの広い人たちと話す時には一言も通じません。学生が行って驚きました。「インドで英語が通じると思ったら、ちょっと奥に行ったら何も通じない」。英語も日本語と同じくらいに通じない。意外ですが、実際そうなんですね。
英語の利点は、一番広く使われているということで、英語がないと国際協力が成り立たないところはたくさんあります。しかし、英語のマイナス面は、対エリートということで、これでは現地とつながるのに限界があります。現地との関係でいうと、英語を使うのは間接コミュニケーションになる、あるいは不充分になることが多くのばあい避けられません。そこでどうしているかというと、日本の多くの援助団体は、現地にパートナー団体がいます。パートナー団体は当然、現地では現地語を使います。そして援助団体も日本では、このグローバルフェスタのように日本語を使います。国際協力というと英語でやっているような気がするかもしれませんが、英語でやり取りするのは主に日本の援助団体と現地のパートナー団体の間です。英語以外の言語が必ず両側で使われているわけです。
先ほど一番目に日本語が出ましたが、日本語というのも軽視してはいけません。ある国際協力の専門家によると、日本人が現地に行って下手にぶらぶらしたりするよりも、日本で広報活動や資金集めなどをやった方が役に立つといいます。意外なことに、日本語だけでできることはたくさんあります。国際協力は英語ができなければできないということはまったくないと思います。例えば、ハイチの地震が問題になっていますが、「ハイチの会セスラ」という団体があります。ここは現地とのパイプはありますが、基本的な活動は日本です。日本人にハイチのことを知ってもらって現地への支援につなげるのが活動なので、使う言語は日本語です。日本の人の知らないことを、日本の人に伝える活動です。日本語で国際協力はいくらでもできるわけです。
つまり英語だけ、あるいは旧宗主国のヨーロッパ語だけでは限界がある、ということです。「イングリッシュ・デバイド」といいますが、英語が格差になっていて、援助が実際にはエリートのふところに入ってしまうことさえあるようです。ハイチの場合はフランス語が公用語ですが、ハイチの人たちが普通に話している言葉はクレオール語なので、やはりフランス語では通じなかったりするわけです。
一つ分かりやすい例をご紹介したいと思います。私は「非暴力平和隊」という団体の会員ですが、この団体はスリランカに行って、紛争の間に立ち、暴力事件が起きないように活動しています。そこに参加した日本の人が次のように書いています。
(引用) 私たち非暴力平和隊のメンバーの共通語は英語です。不充分ながらも私でさえ英語をあやつらなければ仕事が成り立たないので、日本語のメールを書いたり読んだりしている時間以外は、たいてい思考回路は英語になっています。欧米の団体ではなくインターナショナルな組織にしたいというのが非暴力平和隊の願いですが、それでも英語が使われている限り、そこが英語を母語とする欧米地域を中心とする文化になるのは避けられない事実です。つまり私など英語を母語としない人間は、スリランカという異文化に接しながら、同時に英語という異文化の中で仕事をしていることになります。本音を言えばかなりたいへんなことです。
いろいろな国際援助団体がありますが、本部がイギリスやアメリカにある場合が多いです。これはやはり英語と関係してくるわけです。もちろんイギリスやアメリカが国際協力に熱心ということであれば、それは敬意を払うべきことですが、その際に英語を話す人の発言力が特に強くなる、というのが望ましいか、ということはまた別問題だと思います。さて引用の続きですが、
(引用の続き) スリランカ人、たとえシンハラ人であろうとタミル人であろうと、彼らに英語を話すことを期待しているうちは、私の仕事はスリランカの問題の表面的な部分にしか触れられないだろうと強く思っています。もちろん紛争の激しい地域のように、表面の部分だけでもかなりの仕事量で手いっぱいな地域もあります。でも、そうでない地域、たとえば南部では、表面上見える問題はそれほど多くありません。誰に聞いてもノープロブレムという一言で会話が終わってしまうわけです。しかし実際何か事件が起きると、そこには深く根差したカースト制度の問題があったりします。人々が詳細に語りたがらない問題は、おそらくかなりあるのだと思います。もちろん本音と建前を見抜く、あるいは問題を探っていくのに必要なのは、言葉だけではなく、人間関係の構築であることに間違いありません。でもその人間関係を作っていく上でも大切なのは、私たちがいかに聞く姿勢を持っているかです。英語を母語とする文化の多くは、自分をどれだけ多く表現できるか、ということに力を置く文化になっているように思います。でも私がスリランカで行いたいことは、シンハラ語やタミル語を通じて、いかに深く人々の声を聞くことができるか、ということです。フィールドワークでいうところの「声なき声を聞く」という作業のことです。
英語で通じる時は、通じた気になるんですね。ところが実際は分かっていなかったりする。表面的に通じることと、本当に相手の本音を聞くことは、これはかなり別で、多くは使い分けている、ということを認識しておかなければいけないと思います。そういう意味で現地語というのはすごく重要なんですね。しかし、現地語の限界とは何でしょうか?
(会場から) 覚えるのが難しい
そうですね、覚えるのが難しいということと、あとは場所が限られるということですね。例えばトンガ語を覚えました。でもアフリカでは通じません。つまり、現地語というのは場所が限られているわけです。そのぶん深くなるという意味はあるんですが、限られてくるし覚えにくい、ということがあります。
そのことに対してどう向き合うかというと、例えば「ネパリ・バザーロ」というエスぺラントの名前がついているフェアトレード団体があります。ここはネパールに行って、ネパール語でやっているわけです。この団体はネパールにこだわるわけです。他の地域はやらない。ネパール語にこだわって、いっしょうけんめいネパールのことをやるわけです。こういう可能性があると思います。
現地語が必要であるにも関わらず、なかなか学べないということに対して、先ほどあげた国際協力の専門家は、現地の大学に留学することを勧めています。現地の大学に留学して、現地の言葉を学んでやるのがいいということです。しかし、それは誰でもできることではありません。また、現地語を使うことの問題の一つは、現地中心になるということです。現地の人に対しては、日本側で何が行われているか知らされない。いまアカウンタビリティーといって、国際協力する時は、日本側に対してはいちいち説明しないといけないんですが、現地の人に対しては、自分たちの作ったものが日本でどう売られていて誰が買っているかということは説明しなくていい。現地語に重点を置く限り、日本側の情報は伝わりにくい。
つまり日本語も英語も現地語も国際協力に欠かせない役割をはたしていますが、日本語は主に日本国内向け、また英語の場合、英語圏中心、また英語エリート主導になりやすい。一方、現地語は逆に現地中心という傾向を持ちやすいといえるでしょう。
そこでエスぺラントというのが出てきます。エスぺラントというのは、言葉が違う人が、なるべくやさしくコミュニケーションができ、深くコミュニケーションができるために作られた言葉です。エスペラントの長所は何でしょうか?
(会場から) 学習が容易であること
そうですね。「4時間で覚える地球語エスぺラント」という本がありますが、文法の骨子は4時間で覚えられます。他の言語では絶対に無理です。もちろん使いこなせるにはもっと時間がかかりますが、他の言語に比べると、相当速く覚えることができます。他の長所は何でしょうか?
(会場から) 対等なコミュニケーションがしやすい
そうですね。つまり現地に重点を置くのでも日本に重点を置くのでもなく、対等なコミュニケーションがしやすいという前提条件を一番備えている言語だと思います。現地のエリートとつながっているわけではなく、英語圏とつながっているわけでもない。バランスのよいコミュニケーションの前提になっていると思います。
抽象的に言っても分かりにくいので、具体例でいきます。これはモナートという雑誌ですが、エスペラントの月刊誌で、エスペラント語で世界のニュースを伝えています。この雑誌の今年の3月号では、日本のニュースとニジェールのニュースが向かい合わせのページに載っています。これだけなら英語の雑誌でも日本語の雑誌でもありうることですが、何が違うかというと、日本のニュースは日本の人が発信していて、ニジェールのニュースはニジェールの人が発信している。つまり現地の人が自分の観点から世界に伝えることができるわけです。英語の場合はどうかというと、しばしばアメリカなどの人が日本のことを書いているわけですね。つまり外から見た視点で書いている。一方、エスペラントは現地の人が発信する。アフリカの人も日本の人も発信する。そういうところにエスペラントの特徴があると思います。
それではエスペラントの欠点は何でしょう。
(会場から) 使用者が少ない
そうですね。特に現地側は少ない。そんな余裕もないわけですから。それが一番大きな限界になっているわけです。英語がなぜ広まったかというと、植民地支配や、第二次大戦後は経済的影響力で広まっていったわけです。それに対してエスペラントというのは、どこかの経済大国がついているわけでもないし、政治的な力があるわけでもない、まったく普通の人が、自ら学んで使うものです。これはやはり限界があるわけですね。
しかし、これは強みでもあると思うんです。どういうことかというと、国際交流は、これは人間関係すべてですが、押しつけとか一方的な上下関係があるところでは長期的にはうまくいかないと思います。本当に対等な関係にならないと長期的にはうまくいかない、あるいは不満を募らせる、ということになります。それを援助のお金で押し込めるようなことをやっているんですが、それでいいんだろうか、ということになります。とにかく現地は急ぐわけで、それに対して、ともかくモノを送る、ということをやっていると、いつまでたってもこの格差は解消しないわけですね。それに対して、「急がば回れ」で本当のコミュニケーションを通して、相手が何をやって欲しいのか、何を期待しているのかということを知る。本音を知る必要があるし、こちらも自分たちのことをきちんと伝えなければならない。そういうことでエスペラントというのは可能性があるということです。
ここで最後の結論に行きたいと思います。このワイングラスのような図は、富の偏在を示しています。いま日本でも格差が広がっていますけれども、世界的に見ると上位に位置しています。一方、世界の人口の下位の5分の1は、すごい貧困です。こういう人たちがエスぺラントを学ぼうにも、教科書を買えるはずがないし、学ぶ余地がない。それに対して何ができるのかということを二つお話したいと思います。
一つは、エスペラントを使った支援活動を支援するということです。例えばアフリカのベナンのある孤児院の支援活動をエスペラントを使ってやっているわけですが、そういった活動を支援するということが一つできることだと思います。
もう一つは、世界エスペラント協会は、世界のいろいろな地域でエスぺラントを学べるような支援を行っています。ミレニアム開発目標の第8番目が、グローバルなパートナーシップの推進になっています。パートナーシップを進めるためにはコミュニケーションを取る必要があり、そのためにこういった人たちがエスぺラントを学ぶことを支援する。これはエスぺラントを使って楽しんでいる先進国の私たちの責務だと思います。私たちがエスペラントのサークルの会費に払っているのと少なくとも同じくらいの金額を、願わくはこういうところに寄付することができればいいのではないかと思います。日本の場合、実際いろいろな人が寄付しています。世界エスぺラント協会の機関誌に毎月載っている数字では、日本はアジアに関して寄付をしている方がたくさんいますし、今年はアジアエスぺラント大会がモンゴルで行われましたが、そういうことを支援する、あるいは日本にアジアのエスペランチストが来ることを支援する、ということも行われてきました。こういった活動で相手の本音を知るということ、お互いの本音を語り合うということから、新たな国際協力の方向性が見えてくるのではないかと思います。
東西冷戦で社会主義経済と市場経済に分かれていた時代には、エスぺラントは社会主義国と市場経済国の人々をつなぐ役割を果たしてきました。今後は南北間、つまり先進国といわゆる発展途上国との関係に、どれだけ役割を果たすことができるかに、エスペラントの存在意義がかかっているのではないかと思います。今日ここにいらっしゃった皆さん一人一人が、いわゆる南北問題に関して、エスぺラントを使って、こういうことをやっていますということを持つということ、またそのような活動を自分の周囲に広めることで、少しでも草の根のつながりを地球規模で広げていくということができれば、今日お越しいただいた意味があったのではないかと思います。時間になりましたので、私の話を終わりたいと思います。
(会場から質問) エスペラントの単語というのは何語から作られているのでしょうか?
単語はヨーロッパのラテン語などが多いです。
(会場から) それだと不平等ではないでしょうか
そうですね、ヨーロッパ語ではないか、ということですね。それはぜひしていただきたかった質問ですけれども、たとえば今私たちはみんなヨーロッパの服を着ていますよね。この中で和服で来た人はいないですよね。それではこの中でヨーロッパの服は着にくい人はいますか。ズボンが長すぎるとか、いませんよね。これはヨーロッパの服を私たち日本人の体型に合わせて作り直したわけです。現実問題として、私たちの生活は相当程度ヨーロッパ化しています。それを緩和する必要があるわけです。コンピュータもそうしています。アメリカ人が作ったインターネットを日本人が使えるようにしているわけですね。私たちの身の回りの多くの事物と同じく、エスペラントもヨーロッパ起源ですが、エスペラントは、慣用や不規則に満ちたヨーロッパ語を体系化して、新たな言語として再構成したものです。そのことによってヨーロッパ性を緩和する機能を持っているのがエスペラントの特徴です。私たちはヨーロッパ人の使うエスペラントにこだわらず、自分たちの使いやすいように使っていくことができるのです。
エスペラント自体については、このワークショップでは詳しく説明できませんでしたが、エスペラントの展示テントがありますので、ぜひそちらで何でもご質問ください。