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LKKメンバーの声
Vortoj de LKK-anoj



黒柳吉隆
 実行委員の皆さん、大会に向けて、3年間がんばっていただき、その成果として今日は、参加者の多くの方々からねぎらいのお言葉をいただきました。皆さんのお陰で、無事、横浜に申し送りができました。ありがとうございました。
 皆さんとご一緒に、一つの目的に向かって努力してきた過程で得られた信頼の絆は本当に貴重なものでした。今日はゆっくりお休みいただいて、また、これらからたのしく会合をもちましょう。


米川五郎
 クジス大使の記念講演が素晴らしかったので、とても嬉しく思っています。実行委員会で、審議を重ねて、これ以上はないといった計画ができたためと思います。やはり皆で、自由に、楽しく、アイデアを出しながら審議を重ねたことが良かったのですね。
 ところで、サンパークで柴山会長・藤木さん・竹花さんと同室でした。この竹花人さんはレヴーオ・オリエンタの表紙の絵を毎月描いている版画家のエスペランティストでした。83歳とのことです。私もこの先輩を見て、元気がでたように思います。
 黒柳会長の言われた「信頼の絆」を大切にしたいですね。有難うございました。


山田 義

 大会協力のみなさんへ、私からもひと言感謝のメッセージを。
 「エスペラント語で共に生きる歓びを」感じています。
 1日は確実に24時間で終わりますがこの3日間のそれぞれは longa tago でした。ああすればよかった、こうすべきだったかと自分に問いかけています。「ああしてくれた人」、「こう話しくれた人」を思いだして喜んでいます。「あの人にはああしたことで迷惑や不快感を与えたかな」とか心を痛めています。しかし、自分としては最善を尽くしたのだからとして、この大会については心を納めることにします。
 みなさん、ありがとうございました。お礼を言わねばならない協力者が数多くいます、それも最後まで献身的だった人たち。犬山とその周辺の方々、Oomotanoj、そしてkongresanoj の皆さん一人びとりに至るまで。


斎木昌代
皆様お疲れさまでした。
 参加者、みなさんが楽しんでくださったようで嬉しいですね。今まで何回か大会に参加してきましたが、今回は本当に楽しかったです。皆さんのおかげです。ありがとうございました。自分たちでやるのが一番ですね。私には遠足係りの他に保育係としての役があり、保育の希望があれば必要に応じていつでも受け入れられるように準備と体制は整えていました。前もっての申し込みも当日の希望者も無くて、2日間はフリーでした。でもめちゃくちゃ忙しくて、来賓へのお茶出しを含め、あらゆる雑用で1階から4階の間を(犬山の町の中も)とにかく走り廻っていた感じです。雑用係は必要ですね。雑用とArta Kunveno 以外はほとんど Salonoにいました。SalonoのLKKスタンドのところには、いつも地元の若い人たち(藤木さん・糸魚川さん・黒柳真理さん・千田真知子さん・加藤里奈さん)の誰かがいて、まわりを若返らせていました。この人たちの参加や協力を得たことは大きいですね。山本由紀子さんや豊田S会、Sonkisojの人たちは、 なんでも快く引き受けて下さって本当に助かりました。遠足では、林由子さん、萩原将矢さんに大変お世話になりました。


松本祐子
 ただひたすら荷物を見張っていただけですが、よい雰囲気の大会になったのは、本当にうれしいし、全国のエスペランティストの人たちが声をかけてくれ、これからの励みにもなります。福島の(名前を覚えられない)人は私がよほど頼りなかったとみえ、LKKの詰め所にたびたび来てくれてました。
 クジス大使とご対面の瞬間、私がお弁当を口いっぱいに食べていると言うとほほな事も。大使に激怒されることもなかったのは大使のお人柄です。
 腰を痛めているにもかかわらず三日間音を上げなかった Akira さん、Al la Gxojo の山田義さん、委員長黒柳さんはいうまでもなく、みんなみんなすごかった。


山田シマ子

 無事に終わることが出来て感謝です。
 こんなにたくさんの方々が協力してくださって、思い出に残る素晴らしい大会だったと思います。たくさんの方々から、「みなさんの一生懸命さが伝わってくる、あたたかな良い大会でしたよ。ある方からは、「素晴らしい大会だ!よくやったね。」と、ほめていただきました。"Al la Gxojo" で始まった開会式、よかったですね、と言ってくださった方も。特に、歌った方々が地元の人たちだけでなく、全国から来られた方たちったことも良かったのだと思います。参加された人たち自身も喜んでくださいました。司会の糸魚川さん、よくやってくれましたね!。
 私にとっては、大会が成功したかどうか、ということより、黒柳さんがおっしゃったように、これまでの過程で、こんなに素晴らしい方々に出会えたことがうれしいです。実行委員のみなさんにありがとう。
 個人的には、初心者サロンで、小川さん、藤木さんにずいぶん助けていただきました。彼らに出会えたことも大きな収穫です。SONKISOJ のみなさんにも、ありがとう。お茶を手伝ってくださった人たちにも。苦労?した分、喜びも大きいですね。これで終わりではなく、これからも「信頼の絆」を、大切にしていきましょう。


糸魚川美樹
 エスペラントをはじめて1年半で日本大会開会式司会という大役は荷が重かったですが、考えてみれば大変光栄なことです。過去に大会に参加したことがなかったのでイメージもわかず、みなさんに任せきりで申し訳ありませんでした。
 本番当日、ステージから会場を見ると、実行委員をはじめ、セミナー等で知りあった方々が、「あの人、大丈夫かしら?????」とひやひやしながら見守って下っているのがよくわかりました。私の一言一言にうなずいてくださる方、身をのり出して心配して下さる方、なんと頼りない司会者でしょう。「なんでこんなのにやらせるんだ」と思われた方もいらしたのでは・・・。開会式の最初と最後にアンドレイのピアノとコーラスという盛り上がりのある構成でしたので、式後には司会者のミスもみなさん忘れ去ってくださったのかもしれません。あたたかいことばをかけていただきました。
 早口になってしまったり、大事な来賓の一人アンドレイの紹介をとばしてしまったり(ごめんなさい)失態続きでしたが、エスペラントをはじめてまもない私に、司会を通じて多くのエスペランチストと知りあう機会を与えていただいたこと、感謝申し上げます。
 もうこれからは komencanto とは自己紹介できませんね。習得にはげまないと、「あの人、あれから全然進歩してないよね」といわれてしまいそうです。


藤木修三
 色々と本当にお世話になりました。
 私は途中からの参加でしたが、それでもやっと大会が終わり、充実感で一杯です。今回私の一番の収穫は、中部地区の実行委員会の方々やボランティアの方々とだけでなく、全国のエスペランティストの方々とお知り合いになれて、沢山会話ができたことです。今後の活動にも楽しみができました。当日は結構焦る場面もありバタバタしてしまいましたが、本当に楽しかったです。
 ホームページの方も当日の様子を載せたりして、これから何度も見直したりできるものにもしたいと思っています。 最後に一つだけ、終わったばかりですが・・・「また何年かしたらやりたいです!」


山田富久子
 月並みな言葉ですが、やり終えましたという感じです。
 実行委員の皆さま、特に中心になって動かれた皆さま、本当にご苦労さまでした。開催間近は、目の回るような忙しさの上に、忙しく大変だったと思います。他人事のように言っている私は、同じ実行委員でもほんの少し、まさに微力のお手伝いをしただけですので申し訳なく思っています。
 今回、みなさん方がいろいろ考え悩んだ結果は、少しは大会を変革できたのではと感じております。目に見えて大きな変動があったのではなくとも、大会を意義あるものにしたいという意欲が少しづつ盛り込まれていたと思います。
 大会を旧知と会える以外の楽しみの場だけではなく、もう少し誰でもまるっきり初心者でも参加できるようにしたいと考えられたと思います。
 エスペラントが、崇高な意志のもとに世界に広がっていくことを望みます。


山本修
 国内外から462人のエスペランチストが参加する大きな大会となり、実行委員の一人として大変うれしく思います。東海地方で日本大会が開かれるのは28年ぶり。その大会に三重県から一人もお手伝いできないのは寂しいと思い、実行委員に加えていただきました。私はほとんど日本大会に参加していませんし、ましてや大会準備に携わることもありませんでした。それでもいくつかの仕事を担当することとなり、何も分からないまま始まりました。しかし、幸いなことに、いろいろな局面で経験豊かな人に助けられてなんとか責任を果たすことができました。
 大会に協力された皆さんのボランティア精神と協調の精神が大会を成功させたのではないでしょうか。私は自分の仕事が終わるまでは心配の種が尽きませんでしたが、今振り返ると、とても面白い経験させていただきました。皆さん、有難うございました。


Akira
 3年間の準備期間は、正直に言って長かった。しかし、「個人の集まりで構成する実行委員会」というLKKの性格上、準備期間が長いのはある意味やむを得ないと思う。それよりも、経験のない我々が、議論を重ねながら作り上げていった経過が大事だと思うし、それだけに多くの方から「いい大会だった」と言われたことがうれしい。
 私自身は、当日の3日間は受付にほとんど座ったきりで、プログラムにはほとんど参加していないが、それでも雰囲気だけは充分に味わった。
 インターネットの碁仲間でまだ会ったことのなかったTさんが来られて、これから学習をしたいと、「小辞典」を買って行かれた。また、私の町の、高校を今年卒業したKさんも大会の雰囲気を充分に楽しんで帰った。彼女もエスペラント学習への情熱を持っている。
 そして何よりもうれしいのは、犬山講座でエスペラントを始めた人たちが、着実に歩を進めていることである。


黒柳文子
日本大会を終えて
 今、大会が無事終わり振り返ったとき、「この東海地方は本当にユニークな地域だなあ」特に個性あふれる人々がたくさんいるところだということを改めて実感した。
 大会運営の経験のないボランティアが集まり大会準備委員会の立ち上げから始まりLKKを組織。当時エスペランティストのいない犬山でという発想はいくらかでも観光に助けられたいという気持ちが流れていた。そして、国際観光センター「フロイデ」という素敵な建物があることを永瀬勝義さんや山田義さんが思い出し、犬山市の職員に教え子で川出さんという人がいることに米川五郎さんが気づいた。米川さんにお口添えいただいき、川出さんに特別お願いして通常6ヶ月前からの予約受付のところ2年前から全館借りきりの見通しが立った。申請のために(財)日本エスペラント学会の概要、実行委員会の組織の概要、エスペラント語、世界大会、日本大会、アジア大会などエスペラントに関する資料を添付し、市の担当者にも説明した。片道1時間半の道を何十回通ったことだろうか。今思えばこの時から最後まで公的機関に対して役員の方たちの丁寧な対応が会館職員やその周辺の人たちと気持ちの良い関係を保ち続けられたのだと思う。当日はLKKの何倍もの人たちに助けていただきながらの運営だったが、誰も生き生きとして見え、いい形で進んでいぁw)ス。私自身分科会に出る時間はなかったが、記録写真のため時々分科会を覗いた程度。「この大会に参加してよかった」「大成功でしたね」と多くの方からいただいた声が素直に胸に響き、感激した。ねぎらいの言葉がこんなにうれしいものであることに改めて気づいた。
 犬山に新しいエスペランティストが誕生し、大会でういういしくデビュー。「大会後犬山にエスペラントの芽を残したい」というもうひとつのLKKの夢はかなった。今、素晴らしい人たちに出会えた喜びをかみしめている。


山田 義
開会式について
 写真撮影のあと来賓9人を大会会長柴山純一さんとともにLKK委員長の黒柳吉隆さんが控え室にいったん案内した。13時に開会である。すでにホールの袖に合唱団に皆さんが楽譜を手にしてバス、テノール、アルト、ソプラノと出番を待機している。1分前にピアノ伴奏のアンドレイ・コロベイニコフさんが控え室から来てもらってピアノに着いた。
 フロイデは幕のない舞台である。練習のとおりに合唱団は配置に着いた。手元の時計に合わせてちょうど13時に指揮の手を下ろした。客席が満席のためか練習の時より声が響かないかなと思っていると、驚いたことに客席から手拍子が聞こえてくる。指揮をしながらそちらを盛んに制するが、私と目が合った人がいたのだがその手拍子の人に注意をするのをためらっていた。まもなく合唱は大事なリタルダンドへ入るところまで来た。指揮と伴奏と合唱が一瞬ひるむが最後のフェルマータまでこぎ着けた。
 構想と準備と合同練習の3年が本番の3分でみごと実を結んだ。手拍子を責めるつもりはない、それほどにこのベートヴェンの Al la Gxojo は人の心を高揚させるメロディーなのだ。この人に合わせて私も手を叩きながら指揮をすればもっとよかったのかもしれない。
 犬山国際観光センターを最初に見に来たとき、このフロイデという名のホールでエスペラント大会の開会式をするには Al la Gxojo しかないと思った。小西岳さんに相談した。カロチャイのエスペラント訳詞を使って歌えるように3ページの楽譜に納めてもらった。犬山市には第九を歌う会があり、一度その練習風景を見せてもらったが、全国からのエスペランティストと地元の合唱団をまとめる自信がわいてこない。大会参加者から合唱団を作るこにした。それも大会の前日が初顔合わせになる。
 そのために、各自が自宅で練習ができるようにと、練習CDを作ることにした。電子音で自動演奏もする楽譜ソフトをインストールした。パソコンでCDに録音するすることは、「セミナー東海」で経験しているからできた。
 人は、電子音の伴奏だけでは歌いづらい。実際に人の声で歌ったものを提供したい。協力者が神戸のエスペラントロンドにあった。いろいろと実際のアドバイスももらった。ソプラノとアルトとテノールのパートを録音してくれた。バスのパートは私自身の声だ。雨戸を閉めて何度も録音をして1枚にまとめた。音取りの練習としてドレミでも歌い、エスペラントでも歌って録音した。
 「楽譜付 "Al la Gxojo" の練習CD」を宣伝すると注文が入ってきた。犬山大会には出席できないが楽譜とCDがほしいという注文もあった。手応えがあった。これなら大会での合唱団は30名から40名は集まると踏んだ。開会式でのピアノ伴奏をだれに頼もうか、田中禎一さん、私の息子、名古屋の知人のだれにたのもうかと迷っているころ、大会でピアノ演奏をするコロベイニコフさんに頼んだらどうかという菊島和子さんの提案がありこれに乗った。楽譜を送った。ついでにLa Esperoの伴奏も頼んだ。
 続く開会宣言は、合唱の拍手のあと、大会会長の柴山純一さんに開会宣言をしてほしいと前々から連絡してあったのだが、これまでの大会にそういう例はないということで、大会の前日にその計画を取りやめた。幕のないフロイデホールである、合唱団が Al la Gxojo を歌うことで開幕ということにしたいと思っていた。大会宣言を若い人にやらせたらどうかという案が出てきた。
 金曜日の夜の始めての合同練習を開いた。CDの伴奏で数回練習するとみんな上手に歌う。第九の経験者が多いようだ。指揮をすることは始めての私がひとりとちっている。ともあれ、明日はしっかりしたピアノ伴奏者が付くから大丈夫だろう。
 開会宣言をする人を決めないといけない。比較的年輩者の多い合唱団に勇気を出して聞いてみた。1980年よりあとに生まれた人は? ひとりの女性がにこやかに手を挙げてくれた。合唱に参加する人だから発声は大丈夫だろう、でもエスペラントがどの程度発音できる人なのか分からない。二言みことエスペラントで声を出してもらった。すぐにこの人に決まった。足立裕美さん、茨城大学で最近エスペラントを始めた人だ。Estas malfermita la 91a Japana Esperanto-Kongreso, sub la temo: というメモを渡し、それに続いて合唱団全員で"Gxoju, kaj Kunvivu Esperante!" というレチタティーヴォを練習した。歌の好きな人たちだ、素晴らしい力強いレチタティーヴォができた。
 進行係の私にもう一つの不手際があった。前日夜の合唱練習の時に伝えておくべきだったのを私が連絡を忘れたのだ。開会式の締めくくりの時が来た。強引に合唱の人たちを舞台に立たせ La Espero を歌ってもらった。
 舞台に吊された緑星旗に向かって全員が起立してエスペラント賛歌を歌うということに抵抗感があったからだ。舞台に全国からあちこちから集まった歌の好きなエスペランティストが舞台で歌えば、Gxoju kaj Kunvivu Esperante という大会テーマにも合うと考えていた。ピアノ伴奏をお願いしてあるアンドレイさんには1、2か月に La Espero の楽譜は届けてある。合唱団全員が舞台まで集まれなかったが歌の好きな人たちだ、客席のみんなと顔を合わせながら歌って la 91a JapanaEsperanto-Kongreso [Inuyama 2004] を祝った。この優れたピアニストと共演できたことに合唱団の人々は喜んだ。


山田 義
鎖の輪

実行委員会が準備を進める初期の段階で主要なプログラムについていろいろな案が出てきた。その中で永瀬義勝さんから、2005年の世界エスペラント大会がリトアニアの首都ビリニュスで開かれるので、駐日リトアニア大使に来てもらったらどうかという提案があり、委員会で話し合った。米川五郎さんと黒柳吉隆さんが東京の大使館を尋ねたところ快諾を得た。その後、リトアニアエスペラント協会の エゴロヴァスさんがこのことを知り、自らもUKの宣伝にと、日本大会にやってくることになった。
 遠足をどこにしよう、犬山そのものが国際観光都市とうたっているので、遠足の材料はいくらでもある。しかし、2年前の福島大会に参加したウズベキスタンの「平和と連帯の国際博物館」のアナトリー・イオネソフさんが当地を訪問したとき、八百津町の杉原千畝記念館を案内した人が委員の中に何人かいた。犬山からならバスで行くには手頃な遠足地である。あらためてこの記念館を遠足地として下調べに行った。UK開催のリトアニアとも関係が深いことが分かった。杉原千畝があの日本通過ビザを発給した町がカウナスであり、カウナスはザメンホフ夫人クララのいた町。駐日大使のアルギルダス・クジスさんもこの町の生まれだということが分かってきた。
 記念館で売っている『愛の決断』という小冊子は英語版やヘブライ語版がある。八百津町などの快諾の得て、エスペラント訳を作り遠足参加者に配布した。八百津とカウナスにある杉原記念館にも納本した。
 この大会では、ビリニュスUKとリトアニア大使の講演と杉原千畝記念館を訪ねる遠足がうまく関連づいた。


黒柳吉隆
大会を終えて
 「2004年の日本大会を引き受けてくれませんか」と打診を受けたとき、「いつもどこかの大会で楽しませてもらっているだけでは申し訳ないので、協力はしなければいけないな」という気持ちと同時に、「この地方では、中心都市の名古屋が腰を上げなければ無理であろうと思えたから、果たしてできるのかな」という気持ちとが交錯した。4半世紀もこの地方で開催していないし、それほど永いことできないのだから。しかし、「協力者がいればできなくはない」という気持ちで、話を聞いた。
 山田さん、イカイさん、斎木さんと話しているうちに、「ボランティアの有志でやろう」ということで一致したので、東海地方のJEI会員、最近の東海大会とザメンホフ祭の参加者に趣意書を送って呼びかけた。案の定、「久しぶりにやるのだから、もう少し先で、立派なものをする方がよい」という意見が聞かれた。それも方法の一つだが、多分、それではいつまでたってもできないだろう。「とにかく、2004年の引き受け手がないなら、やろう。立派な大会は、その経験を基にして、また近い将来に招けばいい。一度開催したら、30年先でないと順番が来ないというわけではないのだから」ということで、招致する方向に推した。自分は事務局で裏方を引き受けるつもりでいた。まさか、「委員長」が回ってくるとは、思わなかった。
 趣旨に賛同する実行委員に10数名が参加してくれたが、東海大会とかザメンホフ祭で顔を合わせる程度で、顔だけ知っている人、全く知らない人もいて、実行委員会のルール(参加、退会の自由と多数決。それに、みんな手弁当)を決め、八ヶ岳エスペラント館での懇親会を兼ねた委員会を早い時期に持てたことは良かった。みんな、大会にかける夢を語り合ううちに息が合ってきた。後は、あっという間に2年半が過ぎたような気がする。
 「フロイデまつり」のエスペラント展や「犬山講座」など、大会の開催地にエスペラントの種を蒔く活動も実行委員会の活動の幅を広げた。いろいろな特技を持っている人が、意気揚々と準備に取り組んでもらえたのも、こうしたわき道の活動の成果であろう。
 大会が無事終わったとき、参加された皆さんからねぎらいの言葉をいただき、「また大会をやりたい」という声が、次世代の委員の中から出てきたことは、はからずも、当初の目的を達成できたという喜びを感じ、いろいろ協力してくださった皆さんに感謝あるのみ。
 私自身は、この活動を通して、信頼のおける仲間を大勢得たことが一番うれしいことである。
 大会の企画・運営について振り返ってみると、「ああすればよかった」、「こうするはずが、その通りできなかった」という反省すべきことがいろいろある。また、今回の体験の中から、大会の規約、運営マニュアルに提言したいこともある。これらは、今後の大会関係者へ、よりよい大会にするための参考として、申し送る機会があると思うので、そちらに譲りたい。




実行委員会
委員長 黒柳 吉隆 総括、渉外、分散会・分科会・大会サロン
副委員長 猪飼 吉計 「愛の決断」翻訳、市内散策
事務局長 山田  義 事務局、広報、会場設営、開会式・閉会式演出、郵便局印影デザイン
会計 Akira(斎木) 会計、Kongreslibro・大会報告書(編集・印刷・製本)、大会受付、サンパーク、早朝散歩
委員 糸魚川美樹 開会式(司会)、接待
黒柳 文子 記念品、クジス大使接待、弁当、記念写真、記録写真
斎木 昌代 遠足(企画と案内)、接待、子供・託児
永瀬 勝義 アイデア提案
長谷川 勉 ヘンリーさん(接待、分散会)、記録写真
藤木 修三 ホームページ制作、パソコン関連器材、LKKサロン
松本 祐子 大会マスコット制作者との連絡、荷物預かり
山田シマ子 記念品、遠足、初心者サロン、演芸の集い(司会)
山田富久子 記念品、弁当、受付
山本  修 LKK独自会計、エスペラント展示、演芸の集い、大会郵便局、市内散策
米川 五郎 実行委員会の議長、クジス大使


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